2005年4月 第28号
人生『お天とうさんに二重丸』
ざるうどんの宗家『川福』 三代目 I・K

サラリーマンだった父が、生まれ故郷の琴平へ引き揚げてきたのは終戦直後の戦乱の時、

抑留生活のあと、やっとの思いで引揚船に乗りこんだ。


門前町琴平に着いた父は、落ち着く間もなく働きだした。

戦後の混乱の中、うまく行くと思った仕事も何度もゆきづまり、

少ない持ち金の中から、うどん粉一貫分と、塩を買った。

練り・踏み・延ばし・切り・茹でる、朝まだ暗いうちから仕込むうどんは

「最高にうまい」と口込みで広がった。


琴平にまだ遊郭があった頃、自転車のベルを鳴らすと、

長襦袢のおねえさんが、うどんを待ちかねて手を出す。

「おっちゃんのうどんは、うちたてでおいしいわ」

飛ぶように売れるとはこのこと、『もろぶた』いっぱいのうどんは、

あっという間にお金に変わった。

そのお金でまたうどん粉を買い、そしてうどん玉を作る。

そんな繰り返しの中、生醤油以外にうまい食べ方ないやろか・・・そうや!!!

こうして『ざるうどん』が生まれたのです。


昭和38年、琴電片原町の北(当時パラダイスと呼ばれていた)に出店。

「なぁおやじ、ざるそば知っとるけど、ざるうどんは聞いたことないぞ」

「まぁそんなん言わんと、いっぺん食べてみまえ」

「腰があってうまいな」

「ええか、腰があるけんいうて噛んだらいかん。

 喉ごしを味わうんや、たれは下から3分の1だけつけてツルツルと食べてんまえ」

こんなお客とのやりとりの中、へんこつ親父の作る手打ちうどんとして高松でも有名になっていった。


私が高校3年生の就職の時、将来の夢を書く欄に「獣医」と書いたのを見た父は激怒し、紙を破り捨てた。

「商売人は足し算と引き算が出来たらええんや、

 あんたは、縦横4ミリ、長さ90センチのうどんを作り続けるんや、ええな」

と怒鳴った。


「うどんとだしは夫婦みたいなもんや、お互いが引き立てあいをせないかん。

 ええうどんは小さいどんぶりの中で仲良うしとるやろ」

「人の評価を追うたらいかん、天の台帳に二重丸をもらえるように毎日を生きるんや」。

50代半ばも過ぎた今日、その時わからなかった言葉に最近やけに

「ウン・ウン」

とうなずいている私である。


そんな父も昨年13回忌を迎えた。

『讃岐うどん』が独り歩きし、うどん店選びに話題が集まりる昨今、

うまいうどん一筋にこだわった父は天国で苦笑いをしているかも知れない。


「お父さん大丈夫ですよ。あなたの教えは、うどん作りを通じて私の人生にしっかり生きづいていますよ」。



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