21 第二テサロニケ 1:12 及び テトス2:13

ギリシャ語本文(ウェストコット・ホート本文による)
英文(王国逐語訳)
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英文
新世界訳聖書
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日本語訳
新世界訳聖書
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新改訳聖書
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 この二つの箇所はκαι(and)の訳し方の問題です。そもそもギリシャ語文法にはグランビル・シャープの法則があります。これは「二つの名詞が同じ格(主格とか目的格とかの格)であって、定冠詞が一つしかついてない場合は、二つのものではなく、一つのものを表している」というものです。具体的にいうと「the A and B」は「AとBと」ではなく「AにしてB」という意味です。この原則によって訳すと、上記第二テサロニケ1:12は、「私たちの神および主イエス・キリストの…」ではなく、「わたしたちの神にして主なるイエス・キリスト・・・」となります。また、上記テトス2:13は、これが二段階になって、Aであり、aにしてbのBを…という構造です。しかし、新世界訳(日本語・右)は「…希望と…神および救いキリスト・イエスの栄光ある顕現とを…」と訳し、文法原則を無視しています。これは、イエス・キリスト=神という図式になることが自分たちの教理の手前、都合が悪いのです。 なお、第一ペテロ1:3では「私たちの主イエス・キリストの神また父」と訳し、グランビル・シャープの法則に従っていますし、第二ペテロ1:11でも、また、黙示録12:17でもそうしています。つまり都合の悪くないところはそうしているのですから、上記の第二テサロニケ1:12とテトス1:13は意図的誤訳といえましょう。
 なお、第二テサロニケ1:12の原語χαρινの意味は行為、愛顧、寵愛、恵み、恩恵などであって、感情のこもった言葉です。これを新世界訳(英文・中)ではundeserved kindness、新世界訳(日本語訳・右)では"過分のご親切"と訳していますが、過分であろうとも"ご親切"といった情感のうすい言葉ではありません。新世界訳が多く用いる訳語ですが不適切な訳といえるでしょう。


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